本門の戒壇について

本門の戒壇

戒壇の発祥はインドに於いて、釈尊が仏弟子の願いに応じて、祇園精舎に防非止悪の戒​​を結び、これを弟子に授けるための場所として壇を造ったのが始まりです。 所謂 、僧侶が戒律の順守を誓う場所をいいます。

日本では、745年に聖武天皇の帰依によって、中国の鑑真和尚が日本に来て、奈良の東大寺に建立されました。 次に、761年に下野の薬師寺と筑紫の観世音寺にも戒壇が建立されました。これは日本の三戒といわれ、この三ヶ所で僧侶や貴族などの受戒 が行われましたが、この三ヶ寺はともに「小乗の戒壇」です。

「大乗の戒壇」は827年、伝教大師が天台法華宗を弘通し、大師入滅七日後、大乗戒独立が充許され、その五年後、大師の弟子である義真の時に、比叡山に戒壇院が建立されました。しかし、 これも法華「述門の戒壇」であり、「理の戒壇」です。

では、「本門の戒壇」とはどのようなものでしょうか。それは末法の御本仏日連大聖人の本門の御本尊安置の場所をいいます。大聖人は一応、法事経で読かれる上行菩薩の再誕、法半経の行者として法華経を弘通されたお姿が拝せられますが、本地は久遠元初の自受用身であり、久遠即末法の御本仏であられます。 したがって説かれる法も、本門の久達元初文底下種の南無妙法蓮華経であります。ゆえに戒壇も門のようにだ受戒の場所ではなく、御本尊を受持信行する所に一切業生の即身成仏と「防非止悪」「受持即持戒」の戒法が具わる訳ですから、本門の御本尊御安置の場所が本門の戒壇となります。

また、この本門の戒壇に、「事の戒壇」と「義の戒壇」があります。事の戒壇とは、弘安ニ年十月十二目の本門戒壇の大御本尊様の御安置の場所をいいます。義の戒壇とは戒壇の大御本尊様以外の大聖人様の御本尊、日興上人をはじめ代々の御法主上人貌下御書写の御本尊の安置の場所をいいます。 各寺院、各家庭の御本尊は根源の戒壇の大御本尊よりの法水が流れ通うものですから、各々の御本尊に向かい信行に励むときには、その意義は事の戒壇に通じます。 但し、大聖人様の御真筆であっても歴代上人の常住御本尊であっても、日蓮正宗の血脈に反し、相伝の深義に背く他門流や、日蓮正宗から破門された創価学会等の異流義の人達の持つ御本尊には義の戒壇に当たる功徳はありません。しかし、皆様のように戒壇の大御本尊様と血脈付法の御法主上人を信仰の根本として信行に励まれるところの御本尊安置の所は「義においての事の戒壇」といえるのであります 。

三大秘法抄

この御書はとても大事な御書で、この御書にはじめて戒壇の意義が説かれています。日達大聖人は 『三大秘法抄』に、

戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王、覚徳比丘の其の乃往を未法濁悪の未来に移さん 時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の法と申すは是なり。三国並びに 一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大楚天王、帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり(御書15935頁)

と、広宣流布の時に建立される本 門の事の裁壇について、時や場所などを御遺命として述べられています。

①建立の時について

法の上からは、世間法と出世間法、いわゆる仏法と世法が冥合する時です。
人の上からは僧侶と信徒が、一致和合団結して正法を弘め 、広宣流布の実相が現実の形となって行く時です。

②実際の成壇建立における手統きについて

当時における国の代表実権者その人の命令書・認証書をもってという事ですが、現在は主権在民ですので、その解決も違ってくるのです。
「日蓮一期弘法付嘱書」に「国主この法を建てらるれば」とある、この国主に対しても、血脈付 法の御法主上人の御指南のままに拝していく事が肝要です。

③建立の場所について

仏法の発祥地のインドでは、霊鷲山が聖地とされていました。日本では富士山が日本の中心に位置し、その高さ・姿・形からいっても日本一の名山とされています。大聖人は後の 『日蓮一期弘法付嘱書 』に

富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり(御書1675頁)

と明確に建立の場所は富士山であると仰せです。御開山日興上人はその大聖人の御遺命を受けて 、富士山に大石寺を建立されました。

『上野殿御返事』に仏法の住処は鬼門の方に三国ともにたつなり。此等は相承の法門なるべし(御書1361頁)

とありますように、インドの 霊鷲山、中国の天台山、日本の富士山は共に鬼門(丑寅、東北の方角)に位置します。正しく大石寺の鬼門の方角には厳として富士山がそびえています。また、富士山の古来からの名前は「大日蓮華山」といいます。日蓮大聖人の名前を名乗る富士山のふもとの大石寺は三大秘法の戒壇建立の地として、正しく戒壇建立にふさわしい地であります。

④建立の意義について

「時を待つべきのみ」と戒壇建立は必ず実現する、また実現しなさいと仰せです。また、「一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法」と仰せのように、全世界の人々が罪障消滅し即身成仏していくことが出来るのです。

『南条殿御返事』には、

此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん(御書1569頁)

と仰せです。

次にまとめとして、三大秘法抄、一期弘法付嘱書に「就壇を建立せよ」と仰せられた御遺命の日的を日顕上人は、次の三点に示されていますので、紹介します。

ーには、本門成壇の本尊に対する広汎な信行の確立、すなわち仏意相伝による戒壇建立の条件を内包する広布と流通の目標として大聖人が命じられたのである。

ニには、その目標速成に励む個々の信心修行により、衆生における無始の煩悩・業・苦の三道を法身・般若・解脱の三徳と転ずる功徳利益をもって 一切民衆の成仏を期せられたのである。

三には、根本の大本尊を信仰する全世界の民衆が、個々の成仏と人類の平和繁栄を祈念する根本の殿堂として、戒壇建立を遺命ぜられたのである。

故に、本門成壇は未来全人類の魂の救済を目的とする広大な意義を内包するもので、この社会的ないし世界的な意義の実現が事の戒法の顕れで ある。(日蓮正宗要義27頁)

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